怪我でプロ入りを絶たれた元バスケ選手…底辺に沈む苦悩と絶望

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今回取材したのは、かつて将来を嘱望されたバスケットボール選手だったGさん(30代・男性)です。彼は高校時代に全国大会へ出場し、大学でもレギュラーとして活躍していました。しかし、卒業後のプロ入りを目指していた最中に大きなケガに見舞われ、そのままドロップアウトしてしまいます。栄光の舞台から一気に転落し、現在は不安定なアルバイトや日雇い派遣で暮らしをしのいでいるというのです。スポーツという華やかな世界の表裏を垣間見るべく、彼の苦悩と絶望を取材いたしました。


夢を断ち切られた瞬間

 自分はGと申します。高校時代、バスケットの強豪校でスタメンとしてプレーしていた頃は、全国大会で注目を浴びるほど順調でした。大学でもスポーツ推薦で進学し、そこでさらに腕を磨きながらプロチームへの入団を目指していたんです。身長もそこそこ恵まれていて、スピードにも自信がありましたから、「自分ならきっと上手くいく」という根拠のない自信が常にありました。

 しかし大学4年生のとき、大会直前の練習で足首をひどくねん挫してしまったのです。最初は「数週間もすれば治る」と医師から言われていたのに、痛みは長引き、思うように走れず、チームの試合にも出られなくなりました。そのまま公式戦でアピールする機会を失い、プロのスカウトから声がかかることもありませんでした。

 卒業後はリハビリを続けながら実業団などを探しましたが、実績も残せないまま時期を逃してしまい、契約先が一つも見つからなかったんです。自信満々だった自分が、まるで不要な人材のように扱われている――プライドだけが高かった分、その喪失感は計り知れませんでした。


不安定なアルバイト暮らし

1. スポーツ業界での居場所を失う

 プロ入りを断念した直後、スポーツトレーナーやコーチを目指す手も考えました。しかし、専門学校に通うにはお金が必要ですし、実績がないと雇ってくれる現場も限られています。かといって大学で学んだのはスポーツ関連の理論だけで、一般企業で通用するようなスキルや資格はなかった。結局、どこかスポーツショップで働けないかと探しましたが、思うような条件の職場は見つかりませんでした。

 気づけば時給制のアルバイトや日雇い派遣を転々としながら、家賃や生活費を払う日々。最初に住んでいたアパートの家賃が払えなくなり、実家に一時戻ったものの、家族からは「どうするつもりなの?」と厳しい言葉を浴びせられ、居場所を感じられなくなってしまいました。

2. カラダを使う仕事のジレンマ

 日雇い派遣で重い荷物を運ぶ仕分け作業や、イベント会場の設営バイトに携わると、大学時代に痛めた足首に負担がかかり、痛みで動けなくなることがありました。痛み止めの湿布や薬を飲みながら仕事をしても、いつ再発するかとヒヤヒヤしています。かといって長期的なオフィスワークを得ようにも、パソコンスキルや事務経験もなければ何のアピール材料もありません。

 結局、身体を動かす単発仕事に頼るしかなく、怪我をした足を騙し騙し使って働くしかない。その場しのぎで稼ぎを得ることしかできず、安定からはどんどん遠ざかっている気がするんです。今までスポーツで鍛えてきたつもりだった身体が、これほど自分を苦しめる形になるとは思いもしませんでした。


孤独と過去の栄光のはざまで

1. バスケ仲間との疎遠

 大学時代に一緒にプレーしていた仲間たちは、実業団に入ったり、海外のリーグに挑戦したりして、今でもバスケットの世界に関わっている人が多いです。SNSで彼らの活躍を見るたびに、自分だけが取り残されたように感じます。怪我が回復したとしても、今さらプロの道に戻れる年齢でもありません。まるで一度壊れた橋は二度と修復できないみたいに、「あの頃には戻れない」と思い知らされるのです。

 最初のうちは時々連絡をくれていた仲間も、次第に音沙汰がなくなりました。自分がバスケットの世界から外れてしまったせいで、共通の話題も失われたんでしょう。連絡をもらっても「今何してるの?」と聞かれたときに答えられない自分が恥ずかしくて、会うのを避けるようになってしまったのも一因です。

2. 見続ける“成功者”の影

 巷のニュースやネットでは、若くしてプロ契約を勝ち取った選手や、日本人初の大活躍を成し遂げるスポーツ選手の話題で持ちきりです。チームスポーツで世界に挑む姿は尊敬に値するし、自分もかつては「あんな選手になりたい」と夢見ていた。それなのに、今の自分はスポーツに関わることすらできない。まるで違う世界の話のように感じます。

 かつて同じステージに立っていたはずの人たちが、どんどん遠い存在に見えていく――その疎外感は言葉にできないほど大きいです。「もっと早く怪我に気をつけていれば」「リハビリを集中してやっていれば」と後悔は尽きませんが、もうどうにもできない過去にすがるしか術がない自分が情けない。


抜け出せない底辺の現実

1. 金銭面の不安

 バスケに打ち込んでいた頃は、高校や大学の推薦で学費や部費が免除されることもあり、経済的な負担をそこまで意識したことがありませんでした。しかし、今は時給制の仕事をして得た金額から、家賃や食費、交通費を差し引くとほとんど残りません。万が一、バイト先で怪我をして働けなくなったら、その瞬間に生活が成り立たなくなる恐怖を抱えています。

 さらに、足首のリハビリや治療にかけられるお金は皆無に等しく、悪化しないように願うだけ。もちろん貯金なんてできません。スポーツ選手として華やかな舞台を夢見ていた頃の面影は、今やどこにもありません。自分が必死で追いかけてきた夢の残骸を目の当たりにするようで、息苦しさすら感じる毎日です。

2. 先の見えない将来

 「いつか体が完全に動かなくなるのではないか」「このままアルバイトを転々とするだけで人生が終わるのではないか」――そんな不安が頭から離れません。友人たちが築いていくキャリアや家族の話を聞くたび、自分との差に打ちのめされてしまいます。

 何より苦しいのは、バスケットに未練を残している自分と、すっぱり諦めるしかない現実との板挟みで行き場がないこと。どんなにトライアウトを受けたくても、もう参加資格すら得られないし、そもそも現場から声がかかる見込みもありません。多くのスポーツ選手がそうであるように、一度表舞台から落ちたあとに再起する道は非常に険しく、私のように底辺へ沈んだ人間には手が届かない世界です。


取材者の所感(終わりにかえて)

 Gさんの姿は、夢の舞台に立った経験を持つがゆえに、落差がいっそう大きく感じられるものでした。強豪校で活躍し、プロ入りを期待されながらも怪我をきっかけに転落してしまう――スポーツの世界ではよく耳にする不運なシナリオかもしれませんが、当事者にとっては人生を大きく左右する一大事です。しかも、その後のセーフティーネットが整っているわけでもなく、結局は家も仕事も失い、底辺と言われる暮らしを余儀なくされているのが現実でした。

 怪我をしなければ、あるいはもっと早期にリハビリを進めていれば、もしかすると違う未来があったのかもしれません。しかし、今となっては「足が完治したとしても、スポーツ界に戻れる保証などどこにもない」とGさんは語ります。リハビリにかける資金もないまま、日雇い派遣に依存して生きていくしか道が見えない――そんな状況では、心身ともに疲弊していく一方に思えました。

 バスケへの未練と、負傷した足に悩まされながら、一歩も前へ進めずに取り残されているGさん。取材を終えて外に出るとき、彼は暗い表情のまま手を振っていました。その姿を見送ると、「この先も、彼がかつてのようにコートを自由に駆け回る日は来ないのではないか」という絶望感が胸を締めつけました。今も彼の生活に光が差す気配はなく、まだまだ底辺のまま沈み続ける未来が待ち受けているように感じてなりません。

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