ネットカフェが“家”になった瞬間
実家に居場所を失って飛び出したのは、20歳の頃。家族との折り合いが悪く、高校を卒業してからはフリーター生活に甘んじていました。就職活動もうまくいかず、いざ働きはじめても数カ月で職場になじめなくなり、辞めてしまう。そして気づけば――貯金は底をつき、アパートの家賃が払えずに退去せざるを得なくなったのです。
そこで仕方なく飛び込んだのが、24時間営業のネットカフェでした。最初は一時的な避難先として考えていたのに、気づけばそれが“自宅”代わりになってしまった。狭い個室ブースの暗い空間に何時間もこもって過ごすなんて、当時の自分は想像すらしていませんでした。
日雇い派遣の過酷な日常
寝床と荷物置き場をネットカフェに確保したものの、利用料はバカになりません。一晩滞在するだけでも1,500円~2,000円前後。シャワーを使えばさらに追加料金がかかるし、フリードリンク以外の食事をすればすぐに出費がかさんでいきます。まともに働かないと、すぐに支払いが滞ってブースからも追い出されかねない。それを避けるために、僕は日雇い派遣の登録を片っ端から行いました。
朝早く事務所に集合して、その日の仕事先に車で移動する。建設現場の軽作業や、倉庫のピッキング、深夜のコンビニ弁当工場のライン作業など、その日ごとに職種が変わるのが日雇い派遣の常です。時給は最低賃金ギリギリで、重労働でもまったく割に合わない。昼休みは現場の隅でおにぎりをかじり、終了後は事務所に戻って給料を受け取る。ただ、その給料をそのままネットカフェに吸い取られてしまう。そんな負のループに縛られていました。
“仲間”か“居候”か――ネットカフェ難民同士の微妙な関係
同じような境遇の人たちを、ネットカフェでは時折見かけます。隣のブースに長期滞在している人、深夜の時間帯ずっとPCに向かいながらうとうとしている人。それぞれが自分の世界に閉じこもっているようで、どこか孤独そうに見える。でも、同じ顔を何度も見かけるうちに「今日もお互い大変ですね」と小さな会話が生まれることもあります。
一方で、こちらもギリギリの生活をしているので、心の余裕なんてほとんどありません。誰かと助け合おうにも自分のことで精一杯です。頼りたい気持ちはあっても、互いに荷が重すぎて状況を好転できるはずもない。結局、ネットカフェ難民同士の会話はつかの間の慰めにしかならないのが実情です。
膨らむ出費と身体の限界
短期間で見ると、家を借りるよりネットカフェのほうが割安に思えるかもしれません。しかし、長期で滞在すればするほど利用料がかさんでいき、気づけばアパートの家賃以上を払っているなんてこともザラです。まとまった契約金や敷金・礼金を用意できないために、結局は割高な宿泊費を毎日毎日払い続ける悪循環にハマってしまうのです。
しかも、日雇いや深夜バイトを掛け持ちする生活はかなりの重労働。工場のライン作業で夜通し働き、朝には別の派遣バイト先に向かう日も珍しくありません。まとまった睡眠をとる時間すら確保できないと、ネットカフェでの数時間の休息がせいぜい。ブース内で横になっても完全に体を伸ばせるわけでもなく、リラックスできる空間とも言いがたい。慣れてくると少しの騒音や光でも寝られるようになりますが、当然ながら疲れはどんどん蓄積していきます。
この生活を続けていると、ふとした瞬間に激しいめまいに襲われたり、体を動かすのが億劫で仕方なくなったりする。食事も安いカップ麺や菓子パンばかりで、栄養バランスなんて考える余裕はありません。少し風邪をひいた程度でも高熱が出ればすぐ働けなくなり、収入がゼロに。その時は容赦なくネットカフェの滞在費がのしかかる。完全に負のスパイラルです。
冷たい視線と社会的孤立
時折、住民票が必要な手続きや、社会保障の相談をしようと役所へ行くこともあります。でも、ネットカフェ暮らしだとそもそも住民票が移せない場合が多い。住所不定というだけで書類申請が進まず、職員からは不審な目で見られたり、軽くあしらわれたりすることも。周囲から「底辺扱い」を受けているのをひしひしと感じる瞬間です。
また、たまに久しぶりに連絡してきた友人に「今どこ住んでるの?」と聞かれると、なんと答えるべきか迷います。ネットカフェ難民だと打ち明けるのは恥ずかしいし、情けないし、言ったところで気まずい空気になるのは明白。かといって嘘をついても余計に惨めになるだけ。結局は連絡を避けるようになり、いつの間にか友人関係も立ち消えになっていきました。
終わりの見えない悪循環
「こんな生活はもうやめたい」と思いながら、どうしても抜け出せない。それなりの初期費用を用意できないと賃貸契約は結べないし、まともに就活をしようにも住所を固定できず、面接でつまづく。せっかく日雇いで稼いだ金が、ネットカフェと安物の食事に消えるばかりなので、貯金する余裕などまるでありません。
SNSで情報収集をしても、アドバイスは「一時生活支援施設へ行け」「生活保護の申請を」という内容がほとんど。けれど実際には申請や利用条件が厳しかったり、相談窓口で冷ややかな対応を受けたりもします。書類も多く、精神的なハードルも高い。日々の暮らしに追われるうちに、気づけば前進も後退もできないまま時間だけが過ぎ去っていくのです。
気軽に楽しんでいたはずのネット環境が、今では自分の苦しい生活をつなぎとめる鎖のように感じられます。ブースの狭い壁に囲まれながら、いつ途切れるかわからないネット回線に人生を委ねているようで、惨めさは深まるばかり。挙句の果てには、**「また明日も同じ場所に戻ってくるんだな」**と頭をよぎるだけで、自分が何者かもわからなくなる時さえあります。
こうして書いている今も、出口はほとんど見えません。いつまでこの悪循環を続けるのか、あるいは続けざるを得ないのか――。結局、僕の“ネットカフェ生活”は、状況が好転する気配もないまま進行中です。