リストラから始まった「車が家」の暮らし
思いがけないリストラ通告を受けてから、すべてが急転直下で崩れ落ちていきました。年齢を理由に人員整理が進み、次の就職先を探す余裕も与えられずに放り出されたのです。家賃を払い続けることが困難になり、一度は「友人の家に居候させてもらおうか」と考えましたが、コロナ禍の影響で他人を家に入れることを嫌がる人が多く、頼るあてもなし。結局、唯一の資産だった中古車が僕の“新しい家”となりました。
車上生活を決断した時は、「どうにか数週間だけしのげば次の職が見つかる」と考えていました。ところが厳しい現実は想像以上で、時間が経ってもまともに就職できず、いつしか車自体が“終の住処”のようになりつつあります。こんなはずじゃなかった、という思いを抱きながら、毎晩ハンドルの後ろで体を折りたたむように眠る日々です。
車中泊の苦労と不安定な収入
昼間は図書館や無料スペースを転々とするか、アルバイト求人情報をネットで漁る。食事はコンビニで済ませたり、安売りのスーパーを狙ってパンや弁当を買ったり。問題は夜――車内で就寝すると、どうしても窓が曇ってくるし、蒸し暑い夏はエンジンを切ったままでは熱帯夜に耐えきれません。一方で、冬の寒さは身体に凍みて、寝ていても指先がかじかむほど。風邪をひいたら一気に働けなくなるのに、病院に行くお金もなかなか出せない状況です。
清潔を保つのもひと苦労。コインシャワーを使うか、ネットカフェのシャワーだけ利用して凌ぐことはできるものの、毎日お金がかかります。少し風呂に入る間も心配で仕方ありません。何しろ、車ごと盗まれたり、車内の荷物を盗まれたりする可能性があるからです。貴重品を持ち歩こうにも、カバンひとつに全部詰め込むには限度があります。いつも「もし車を失ったら、自分の家は一体どこになるんだろう」と不安が頭をよぎるのです。
アルバイトは日雇い派遣の登録を複数していますが、抽選のようなシステムで必ずしも行きたい現場に入れるわけではありません。仕事がない日も多く、日銭を稼げないとガソリン代すらままならない。走らないと移動もできないのに、乗っていれば維持費がかさむ――。こんな板挟み状態が続くなんて思ってもみませんでした。
微妙な連帯感と孤独
深夜のコンビニ駐車場や道の駅など、車中泊をしている人を見かけることがあります。似たような境遇の人には、自然と目が行きがちです。先日、停める位置が近かった中年男性が、車の窓越しにこちらを見て会釈してきました。何となく分かり合えるような雰囲気があって、数分ほど言葉を交わしてみたんです。
「一度、職を失ってから家賃が払えなくなってね」と語る彼と状況がよく似ていて、少し心が和らいだのを覚えています。とはいえ、お互い自分の問題で手一杯だから、積極的に助け合うとか、連絡先を交換するとか、そういう流れにはならない。ちょっと愚痴をこぼし合って、再びそれぞれの孤独な車内に戻っていく――そんな儚い連帯感しか持てないのです。
車が壊れる恐怖と増え続ける出費
問題は、車だってずっと走れるわけではないこと。中古車ゆえに故障のリスクは高く、タイヤやバッテリーの交換、オイルの交換など、メンテナンスにかかる費用がいつ襲ってくるか分かりません。車検もしかりで、一度大きなトラブルが起きれば、修理費どころか廃車の道しかなくなる可能性もあります。
それでも、車を手放したら“家”がなくなる。だからギリギリの状態でも整備をしなきゃいけないし、最低限の維持費を工面しなきゃいけない。バイトが見つからない時期は、借金してでも車を維持しようとする自分がいます。結果、どんどん負債が増え、生活はさらに苦しくなる。「車を持っているだけマシだろ」と言われても、その維持の重圧は計り知れません。
見えない出口と迫りくる限界
自立支援センターや生活保護の申請だって頭をよぎりますが、車を所有していると受給が難しくなる場合もあると聞きました。かといって車を失ったら、今度は文字どおり路上に放り出されるだけ。理想を言えば、まとまったお金を用意して安い部屋を借り、そこから再スタートを切りたい。けれど保証人もいなければ、初期費用を用意するアテもない。日雇い労働だけでは到底貯金に回せる余裕はありません。
そうこうしているうちに、やっと見つかったバイト先で体調を崩してシフトを外されてしまうと、その瞬間から収入がゼロに。パーキング代が払えず、車を長時間停められない。深夜の路上を走り続けるか、ショッピングセンターの空き駐車場を転々とするかしか手段がありません。まともに寝られないので疲労は限界に達し、短期バイトすら続けられなくなる悪循環です。
周囲の人からは「働き口はいくらでもあるだろう」「甘えだ」と責められたり、蔑まれたりすることもあります。表面だけ見れば、ただ車の中にこもって怠けているように映るのかもしれません。しかし、実際は「これ以上、どうにもならない」ほど追い詰められているのです。車内に寝袋を敷いてうずくまるたびに、「自分は底辺にもほどがある生き方をしているのか」と情けなくなるばかり。
車上生活から抜け出せない絶望の日々
こうして車を“住処”として転々とする生活は、想像以上に体力も精神力も削られます。いつ故障するか分からない車が最後の砦であり、同時に重荷でもある。バイト先が決まっても長続きせず、支払いを優先していたら貯金など到底できない。周囲に助けを求める当てもなく、SNSに吐露する気力ももう残っていません。
数週間で終わるはずだった車上生活は、いつしか数か月に及びました。夜になれば同じ駐車場に戻ってくる自分がいて、その繰り返しに嫌気がさしてもどうすることもできない。もしかしたら、もっと長い期間ここで暮らすことになるのかもしれない――。そう思うと、うっすらと光が見えていたはずの未来すら、もはや真っ暗な闇に包まれていく感覚に襲われます。
結局、僕の車上生活は今も続いています。無理やり自分に「頑張れ」と言い聞かせても、具体的に何を頑張れば状況が良くなるのかすら分からなくなってきました。安定した寝床もなく、たまにバイト代を得たところで維持費と食費でほぼ消えてしまう。家を借りるまでの資金がどうしても貯まらないまま、ただ車内に引きこもる生活をやめられずにいます。
日中はできるだけ人目に触れないように、公園や図書館などを使って時間を潰し、夜は人気の少ない駐車スペースで息を潜めるように眠る――。これをいつまで繰り返すのか、想像するだけで気が遠くなる。一度は夢見た「正常な生活」に戻れる日は、もう来ないのかもしれない。そう諦めかけながら、今夜も僕は車のエンジンを切り、狭いシートに身を投げ出しています。