今回、私は「ネットカフェ難民として暮らすAさん」に取材を行いました。日本経済の一角で日々押しつぶされそうになりながら、それでもなんとか生き延びようとする彼の姿は、私の想像をはるかに超える壮絶なものでした。それではさっそく、Aさんの体験談をお届けします。
ネットカフェ難民になるまでの経緯
初めまして、Aと申します。実は今、私は都心にある24時間営業のネットカフェを拠点に生活しています。多くの方が「ネットカフェ難民」という言葉を耳にしたことがあると思いますが、実際に自分がその立場になろうとは夢にも思っていませんでした。
私が昔勤めていたのは、いわゆる大手企業の下請け工場でした。高校を卒業した後すぐに就職し、最初は期間工という形で働き始めました。給料はそれほど高くはありませんでしたが、なんとか日々の暮らしは成り立っていました。しかし20代後半で不況が訪れ、突然のリストラ通告を受けました。そこから転職を繰り返しましたが、学歴も資格もない私はどこに行っても思うような待遇が得られず、家賃を払う余裕もなくなってしまったのです。
最初は友人宅や実家を転々としていました。でも、疎遠だった家族との気まずい関係や、友人への負い目などから、すぐに出て行かざるを得ませんでした。行くあてもなかった私は、24時間営業のネットカフェに泊まりこむ生活を始めるしかありませんでした。
ネットカフェ生活の実態
1. 居場所と呼べない「仮住まい」
ネットカフェのブースは狭く、カーテンで仕切られただけの半個室のような空間です。中にはリクライニングチェアと小さなテーブルがあるだけで、横になるのもやっと。物を置く場所も限られています。誰かが隣のブースで咳をすれば聞こえますし、いびきが響く音が夜通しずっと気になることも少なくありません。
さらに、ネットカフェといえど長時間いるとなれば料金は決して安くありません。一晩パックでも1,500円前後はかかり、シャワーやドリンクバー、コインランドリーなど、追加の出費が重なっていきます。家賃こそ不要ですが、トータルで考えると決して“安上がり”な暮らしではないのです。
2. 荷物は常に持ち歩き
私が所有する荷物は、着替えや日用品を詰め込んだリュックサックがひとつと、スーパーのレジ袋2つほどになりました。大きな家財道具や思い出の品は売ったり捨てたりして、すべて身軽にしました。もともと物に執着があるわけではなかったですが、自分で選んだというよりは「持ちきれないから捨てるしかなかった」というのが実情です。
就職活動や日雇い派遣のバイトへ向かうときも、常にこの荷物を持って移動します。ちょっと重いと感じるときもありますが、下手に荷物を置いておける場所もないので仕方ありません。もし迷子になったら一環の終わりです。なにしろ、私にとってリュックの中身は「生きるための道具」が詰まっている唯一の財産ですから。
仕事の不安定さと孤独感
1. 日雇いバイトの辛さ
今の私の主な収入源は、いわゆる日雇い派遣のバイトです。工場でのピッキング作業やイベント会場の設営、引っ越し作業の人手不足の穴埋めなど、比較的単純な仕事ばかり。朝早くから求人サイトのアプリをチェックし、その日のうちに働けるところを探して現地に向かいます。
仕事は重労働も多いのですが、給料は1日働いても1万円に届かないことがざら。しかも人手が足りなくなれば呼ばれるけれど、需要が落ち着いてしまうと真っ先に切られてしまいます。予約していた仕事がキャンセルになることもあり、常に不安がつきまといます。私は腰も痛めているので長時間の力仕事はきついのですが、背に腹は代えられず、体に鞭打って働くしかありません。
2. 孤独との戦い
ネットカフェには似たような境遇の人たちが少なからずいます。でも、みんな自分のことで精一杯なので、あまり干渉し合わないのが暗黙のルールのようになっています。気軽に雑談する空気でもなく、一歩外へ出ればただの通行人と変わりありません。孤独感は否が応でも増していきます。
また、実際に会話する人がいなくなると、必要以上に考え込んでしまうことも多々あります。「なんでこんな生活になってしまったのか」「どこで道を踏み外したのか」。そんな自問自答を繰り返しているうちに、気づけば夜明け近く。無性に誰かと話したいと思っても、この生活スタイルでは知り合いをつくる余裕もありません。あるのは自分自身の無力さを責める時間だけです。
過去を振り返る苦しさ
いつか私は、ちゃんとした部屋に住んで、普通に仕事をして、普通にご飯を食べていた時代がありました。友人と飲みに行くこともあったし、将来の夢だって語り合っていた。けれどあの頃は、「努力すればどうにかなる」「自分はそこまで落ちぶれはしない」とどこか他人事のように思っていたのかもしれません。
今こうして底辺と言われる状況に陥り、初めてわかったことがあります。それは、「一度転落すると、這い上がるのが想像以上に難しい」という現実です。職歴もスキルも学歴もないと、社会は驚くほど冷たくなります。ときには「自己責任だろ」と嘲笑を浴びることすらあります。私自身が何よりも痛感しているのは、いつも資金と時間と健康がギリギリの綱渡り状態で、慎重に動かなければ、あっという間に社会の底へと落ちてしまうということです。
インタビュアーの所感(終わりにかえて)
Aさんの姿は、現代社会が抱える厳しい闇を浮き彫りにしていました。ネットカフェ難民という言葉で一括りにされがちですが、その背景には、失業や家庭環境、学歴、健康問題など、複合的な要因が絡み合っています。
Aさんは今も日雇いバイトを見つけてはなんとか暮らしをつないでいますが、生活が劇的に好転する兆しは見えていません。むしろ、過酷な仕事で体を壊すリスクは日に日に高まっており、いつまで続けられるかもわからないのが現状です。社会の底辺に落ちた人々にとって、抜け出す道のりは想像を絶するほどの険しさがあるのだと痛感させられました。
彼の話を聞き終えた今も、私の頭からはネットカフェのカーテン越しに聞こえた物音や薄暗い照明の光景が離れません。Aさんのような生活がこのまま改善されず、彼が再び社会的にも経済的にも大きな希望を持つことができないまま、時間だけが過ぎていくかもしれない。そんな苦しい未来を想像すると、私の胸には暗い影が差し込むばかりです。