都心の寄せ場が映し出す絶望…日雇い労働者Cさんの転落人生

生活

今回取材させていただいたのは、都内の寄せ場(簡易的な労働者が集まる場所)を拠点に日雇い労働を続けるCさん(50代・男性)です。長年の不安定な生活と心身の疲労、そして絶望的な将来展望――。かつては定職を持ち、家族と生活していたという彼が、なぜ底辺と呼ばれる暮らしに身を置くようになったのか。その胸中をリアルに語っていただきました。


かつての安定からの転落

 自分はCといいます。若い頃は工場勤務でそこそこ安定した収入があり、結婚もしていました。子どもは一人。最初は小さなアパートに家族3人で暮らし、平凡ながらも温かな生活だったと思います。

 ところが30代半ばになったころ、工場の規模縮小に伴うリストラで仕事を失ったんです。妻も働きに出てくれましたが、時給のパートだけでは家計が回らず、借金を重ねるうちに夫婦げんかも絶えなくなりました。さらに、再就職が思うようにいかず、精神的に追い詰められてからは酒量も増え、家庭内の関係は完全に崩壊。結果的に離婚という選択をせざるを得なくなりました。

 妻は子どもを連れて実家に帰り、俺だけが住むには家賃が高いアパートも退去。安い宿泊施設を転々としながら日雇いバイトで食いつなぐ日々が始まりました。


寄せ場暮らしが始まる

1. 住む場所を失う恐怖

 いまは東京都内にある寄せ場近くの簡易宿泊所で暮らしています。1泊2千円前後の狭い部屋ですが、それすら払えなくなると路上かネットカフェ暮らし。こんな状態では普通の賃貸契約など夢のまた夢です。保証人もいないし、安定した職歴がない人間に部屋を貸してくれる大家さんはほとんどいませんからね。

 いちばん怖いのは、ケガや病気になったとき。寄せ場で日雇いの仕事がない日に宿代を払えないと、宿を追い出される。つまり、その夜から路上生活ということになります。日雇い仕事は気まぐれで、運よく連日働けるときもあれば、連絡が途絶えることも。だからまとまった貯金はできず、常にギリギリの状態です。

2. 日雇い労働の現実

 朝5時ごろに起きて寄せ場へ行き、仕事の斡旋所から「今日はどこそこの建設現場で人手が足りないから行ってくれ」と言われる。その日限りの肉体労働です。交通費込みで日当8千円前後が相場。そこから食事代や宿代、洗濯代などをひねり出すわけです。

 肉体労働といっても、年齢的にきつくなってきています。腰や膝が悲鳴を上げるのは日常茶飯事。若い連中に比べて体力やスピードで劣ってしまうと、現場のリーダーからは冷ややかな目を向けられる。毎日不安を抱えながら、それでも働かなきゃ食べていけない。その繰り返しです。


孤独と後悔

1. 家族の幻影

 離婚した妻と子どもは今どうしているのか。連絡先はわかりません。自分が勝手に離れた形になったので、会う資格がないように思えて、結局ずっと逃げてきました。

 ときどき街で親子連れを見かけるたびに、自分が捨ててしまった家庭の風景を思い出します。子どもが大きくなっているはずなのに、その成長にまったく関わってこられなかった。情けなくて、苦しくなる。でも今さらどうすることもできない。結局は自分の責任だから、どこにもぶつけられないんです。

2. 誰にも言えない弱音

 寄せ場には同じような境遇の人が大勢います。ただ、皆それぞれ自分のことで精一杯だから、他人の悩みには首を突っ込まない空気があります。必要以上に干渉しあわないのが暗黙の了解ですね。

 だから一見、顔なじみと酒を酌み交わしているようでも、本当の胸の内を打ち明ける人は少ない。自分だけがこんな苦しみを抱えているわけじゃないとわかっていても、夜になると孤独がふと押し寄せてくる。いつも頭に浮かぶのは「もしあの時、リストラさえなければ」「もし酒に逃げなければ」という後悔ばかりで、そこから先の行動に踏み出せないままなんです。


抜け出せない底辺の鎖

1. 心身の不調と無縁の医療

 正直、メンタルが限界に近づいているのは感じています。寝ても体が休まらないし、不安で胸が苦しくなる日もある。でも病院にかかろうにもお金がないし、そもそもバイトを休んだら翌日の宿代も稼げない。結局無理をしてでも働きに行って、帰ってくるのは夜遅く。翌朝はまた早朝から仕事探し。このサイクルを繰り返すうちに、どんどん精神がすり減っていく。

 しかも日雇い労働の仲間の中には、生活保護の申請をしようとしても役所で門前払い同然の対応を受けたり、書類不備や住所不定を理由に却下されたりしている人もいます。自分だって同じような目に遭うかもしれないと思うと、動く気力すら失せるのが本音です。

2. 社会からの偏見

 世間一般には「日雇い労働者なんて自己責任」「怠け者の集まりだろう」なんて言われがちです。でも、本人たちは生きるために必死なんです。確かに、酒に溺れたりギャンブルにのめり込んだりする人もいるけど、それだって先の見えない不安や孤独を紛らわせる手段なのかもしれない。

 俺がここまで転落したのも、自分の選択ミスや社会の構造的な問題がいくつも重なった結果だと思っています。けれど、偏見の視線を向けられるたびに、もうやり直すチャンスなんてないんじゃないか……と余計に追い詰められていくのを感じますね。


取材者の所感(終わりにかえて)

 Cさんは取材中、ずっと項垂れたような姿勢で語っていました。かつて家族や安定した暮らしを手にしていたところから一気に転落し、今は寄せ場で日雇い仕事を続けるしか道がない。身体の衰えが進むにつれ、宿代や食費すらままならなくなるリスクと背中合わせの日々――。それはあまりにも過酷で、ゴールが見えない行路のように感じられます。

 Cさんのように一度転落し、底辺に追いやられた生活を続けている人は、都心の片隅に少なからず存在しています。彼らが抜け出すためには、生活保護や行政サポートを積極的に活用するのが理想でしょう。しかしその道のりは険しく、申請のハードルや偏見など、多くの障壁が待ち受けています。心身共に余裕がない状態では、一歩踏み出すのすら容易ではありません。

 取材が終わった後、Cさんは寄せ場へ戻り、翌日の仕事を確保しようとしていました。その背中を見送るとき、私の胸には暗い影が落ちました。いつまでこんな暮らしを続けられるのだろう。結局、抜け出す糸口を見つけないまま、底辺の暮らしに沈み続けるしかないのかもしれません。彼の未来を思うと、まるで深い夜のような絶望感が広がっていくばかりです。

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